公演関連企画 街の記憶
part1| ロングインタビュー 「記憶の伝承について演劇でできること」
p1_goma1
インタビュー ごまのはえ(ニットキャップシアター代表/劇作家、演出家、俳優)

『ピラカタ・ノート』の作品要素でもある「街の記憶」をテーマにした関連企画の第一段。
「街の記憶」を演劇で語ることについて、自身の出身地である大阪府枚方(ひらかた)市をモデルにした「ヒラカタもの」を多数上演してきた ごまのはえの、長めのインタビューです。
(写真の街は、枚方の風景です。)

立入禁止の屋上で

p1_hirakata1
ごま
ここから見る風景が好きなんですよ。夜は今見えている団地や家やビルに、全部明かりが灯って、海みたいになるんです。
__
それは、『ピラカタ・ノート』のラストシーンのようですね。
ごま
ここでその景色を見ていると、全部、飲み込みたいと思うんですよ。

街が求める犠牲について

__
ニットキャップシアターが旗揚げして2年目に上演した『青春幽霊』。女の子が犠牲になる話という点で、ピラカタと共通しているんですね。
ごま
『ヒラカタ・ノート』、『ピラカタ・ノート』、『青春幽霊』。どの作品にも交通事故で死ぬ女の子が出てきています。『青春幽霊』では交通事故なのか自殺なのかはっきりさせない形ですけどね。
__
女の子が、死ぬ必要性があるのですね。
ごま
分かんない……。その子たちは犠牲にされているのかもしれない。枚方という、恥知らずな街の。
__
何の為の犠牲なのでしょうか。
ごま
誰しも、生活していたら汚い部分が出てくるじゃないですか。そういうネガティブなものを引き受けて一身に浴びてしまう、供物のような存在。それがなぜ女の子なのかは分からないけど。

ぼろ雑巾

__
女性で思い出したんですけど、例えば昔遊郭があった中書島がそうであったように抑圧を発散する場所や存在が必要なのかもしれませんね。ポジティブな方向、ネガティブな方向の吐き出し方はあるかもしれませんが。
ごま
この枚方も丘を切り開くために砂利を運ぶダンプカーがたくさん使われたんですよ。その当時、猫やイタチや、犬の死体がそこかしこに転がっていたんです。
p1_road
ごま
そういう死体を朝に見かけて、夕方、学校からの帰り道でもまだ残ってるんですよ。その翌朝も残っている。だんだんぼろ雑巾のようになっていく。見たくないけど目が離せない光景でね。人間でも事故があった場所にと周りの人達が花を手向けるでしょ、その花から目が離せない。昔から、そういうのが気になるんですよね。生きていくには辛いことや嫌なことを、忘れたり許したりすることが絶対に大事だけど、僕はそういう能力が低い、もしくは好きじゃないのかもしれない。
__
というと。
ごま
好きじゃないというか、そういう事を繰り返していたらいつかとんでもないことが起きるんじゃないかって思う。生活や、人間の進歩には必要なんだと思うんだけど、何らかの形で残さないと。それは、当事者には辛いと思うけれど。
__
この街はぼろ雑巾の上にある。
ごま
枚方が開かれるためには、大量の砂利が運ばれていって、無数の猫が死体になって、手向けの花がそこかしこに転がっていって。でも、夜に団地を見ると、それが灯す全ての明かりの下に家庭があるのかと思うとほっとするし、途方もないような気になるんですよ。明りの一つ一つに家庭があって、苦しみや悩みがあって。それはなかなか説明出来ないんだけど、直観的に響く光景なんですよ。キャンドルイベントかというような光景で、その膨大さを全部飲み込んでしまいたいというか、同一化したいというか……
__
飲み込む?
ごま
体に取り込みたいんですよ。

忘却装置

__
確かに、人間は罪から逃れる為に様々な技術を持っていますね。まず宗教がそうだし、貨幣経済もそれの一端かもしれません。ごまさんは、そうした蓄積によってとんでもないことがあると仰っていましたが、何を恐れているのですか?
ごま
僕が語り部としてずっと言っていかないとダメなんじゃないかと思うんですね。それを止めたら、僕個人にとんでもないことが起るんだと思う。世の中が悪くなるという事じゃなくてね。
__
忘れて生きていく事は、確かに出来ないかもしれませんね。
ごま
この豊かさが他の誰かの犠牲の上に成り立っているという意識が強くて。それでボランティアに行ったりする。自分で豊かさを勝ち得たと思っている人は少ないんじゃないかなと思うんですよ。いつか、この豊かさは無くなってしまうんじゃないかという根本的な不安。そういう不安が、街の禍々しい部分を抉り出す作業に向かわせているのかもしれない。
__
なるほど。
p1_flower

質疑応答

__
ごまさんが、ご自身の枚方観を物語にしたいというのは、いつから発生したのでしょうか。
ごま
旗揚げして2年目か、3年目ぐらいからそういう事を考えていたかな。
__
なぜ物語にしたいと?
ごま
中上健次だったり、ガルシア=マルケスが好きな作家なんですが、その著作に自分の生まれた土地を描いた作品があるんですよ。そういうこといつかはやりたいなぁと思ってました。でも全然スケールが違う。どうすればいいんだろうって悩んでたんですけど、他に、島田雅彦の『忘れられた帝国』、小林恭二の「ゼウスガーデン衰亡史」を読んで、これなら糸口がつかめそうだなと思いました。実際の土地の歴史にフィクションを入れ込む「偽史」という語り方、僕の物語を作る手つきはその影響を受けていると思います。
__
枚方を描く事を通して、ごまさんご自身にどのような変化がありましたか?
ごま
親が見に来なくなったね。それまでは楽しみにしてくれたのに、「もう嫌や」って。
__
なぜでしょうね。
ごま
気持ち悪いんじゃないの。もっと分かるようにやりなさい、って。OMS戯曲賞を受賞した『ヒラカタ・ノート」を見て、激怒されました。
p1_kaidan
__
街の記憶や、恥知らずな側面であるとか、それを書かなければならない理由はありますか?
ごま
この幸せがウソであるという気持ちが拭えなくて。だから大学はお坊さんになろうと思って佛教大に行ってたし。死者の上を我々は土足で歩いていると。だから、幽霊を見たとかいるとかはおかしい言動だと思う。そりゃいるよと。それをお前はここで言ってどうすんねんと。腹立たしいんですよね。
__
なるほど。
ごま
死んだ人の事は大事にしたいとは思っているけど、死んだ人が見えるだとか除霊とかそういう発想は大嫌いです。自分なりのやり方で、死んだ人の声に耳を傾けたい。そういう態度を取っていきたいと思っています。まあ、最初に『青春幽霊』やってるから、どうやねんと言われるかもしれないけど。
__
「ヒラカタもの」以外の作品に、「枚方らしさ」が作品に顔を出す事はありますか?
ごま
自営業の息子が出てこない事かなあ。サラリーマン家庭しか想像できない。サラリーマンを描くにしても、茶髪とかじゃなくて、出来れば七三に分けたまじめな感じの。暑くてもスーツを脱がないみたいな。それは自分の父親がモデルなんだけど。あとは、性欲。合理的なものや平和な生活を食い破るようなエネルギーとして性欲に期待してるんだと思う。それは僕の枚方破壊願望だと思う。
__
ニットキャップシアターで枚方を描けると思う理由はなんですか?
ごま
良くも悪くも僕らは、普通というものを客観的に描ける人たちだなあと思っています。良くも悪くも、化け物劇団ではないんですね。
__
化け物劇団?
ごま
天井桟敷みたいなね。取り立てて美男美女が揃っている訳でも、お洒落でもないし、丸っこさやほどほどさ加減が、枚方の程々さ加減と合うんじゃないかと思うんですね。もちろん、普通を客観的に扱える人という事です。俳優が、意識的に普通の人を演じられる人なんですね。
__
ほどの良さですね。
ごま
そうですね。その裏に必ず、残酷さや、食い破るような性欲が潜んでいて、実はど変態。そういう演技を、僕は要求しています。
p1_bard

罪悪感

__
犠牲の話についてもう少し。なぜ犠牲を出さないといけないかというと、それはやっぱり悪意を放出しないといけないからなんですよね。都市のはけ口として、例えばさっき通った枚方駅前公園が、その役割を果たしているんじゃないかと思うんです。
ごま
分かります。例えば僕がむかしよく行った団地にも公園があるんですが、そこのベンチが落書きだらけで。誰々殺すとか、この電話に掛けたらやれますとかね。憩いのベンチとか希望の公園とか、そういう名前が付いているんだけど、名前とは裏腹に必ず汚されているんですよね。
__
面白いですよね。
ごま
抑圧や悪意は各家庭で処理されていると僕は考えているんだけど、その処理しきれていない余りが公園のベンチにいくんだろうな。福島の原発事故で出た汚染水が海に流れた時に、「そうそう、日本はそうなんだよな」って。
__
なぜいたずら書きが発生するのか。それは多分、誰かの頭に自分の訳のわからん悪意を処理してもらいたいからなんでしょうね。そうすれば他人の処理が発生して、自分への負担が軽くなる気がする。汚染水の問題で言ったら、大気という目に見える場所よりは、海という見えない場所に流せば罪障意識は薄くなる感覚はありますね。海中の知らないシステムで処理されてくれるだろうみたいな、無責任空間がある。
ごま
地続きじゃないから想像力が途切れているんだろうなと。
__
公園のベンチがまさにそうなんですね。
p1_park
ごま
僕は、そういうネガティブなイライラした気持ちが、サービス産業に結びついている気がしてるんですよね。昔、TVで「殴られ屋」という職業が紹介されていたんですよ。商売としては絶対うまくいかないと思った。だって殴ると罪悪感がでるでしょ、いくらお金を貰っても。そこを引き受けてまで殴ろうとは思わない。でももっと巧妙に殴っても罪悪感を感じないシステムをつくってあげれば、商売としては繁盛するかもしれない。
__
なるほど。
ごま
サービス産業は基本的にそういう成り立ちをしているんだと思う。でも、僕はお金を払って殴って、それで罪悪感が残らないというのはおかしいと思う。性産業も同じですね。お金を払えば合法である。どういう事やねんと思う。そういうのが凄く違和感がある。殴られ屋のあの人を、僕はすごく尊敬する。人間としては正しい。もちろんその人もお金が必要だったからやったんだろうけど。

子供たちの声が聞こえる

__
なぜ、枚方の夜景を見て「飲み込みたい」のでしょうか。
p1_hirakata2
ごま
わからん。ただ今回の再演の目標は、残酷で寂しいだけではない作品にしたいなという気持ちが強くあって。ネガティブなだけではあの夜景は描ききれないと思うんですよ。僕は、あの夜景にすごく優しさを感じるんです。不気味なんだけど、でも、子供たちの声が聞こえてきそうな。たとえ交通事故で轢かれてしまっても、どこかから子供の声が聞こえてきたとしたらそれで救われる気がする。そういう風景と同化出来る気がする。異郷の地なんかではなく、故郷で死ねる気分。
__
それを飲み込みたい。
ごま
そこには、肯定したいという気持ちが非常に強くあるからだと思う。死んだ人も生きている人も、残酷な事も楽しい事も、同時に横に並んでいるというね。世界の広さや複雑さを引き受ける事が出来ないとダメなんじゃないかと思うんです。初演の時に暗すぎるというご意見はあったけど、それはそれ、これはこれという姿勢では作りたくないんです。複雑さとか暗さを引き受けたい。
__
というと。
ごま
少し離れた土地で苦しんでいる人がいる事を知っている上でお酒を飲んだりセックスしたり。それは残酷な事なんだけど、バランス感覚まで失いたくないんですね。それはそれ、これはこれという人にはなりたくない。
__
なるほど。
ごま
再演のラストシーンでやりたいのは、現実の複雑さや残酷さを、僕らは平気で生きているんだなあと、そういう感慨を、客席と共有したい。

語り部

__
ごまさんの両親が、『ヒラカタ・ノート』からから来てくれなくなったのは、ごまさんが街から優しさを感じるレベルになったからじゃないかなと思うんです。邪推ですけど。それまでは楽しみにしてくれてたんですよね。
ごま
そうね。楽しみにしてくれてたね。
__
ご両親は、枚方で地に足をつけて生活されてきた訳じゃないですか。だから観に来なくなった。
ごま
そうだと思う。僕が取材対象として親を見だしたからだと思う。あきらかに警戒されてるもん。
__
反面、ご両親は息子であるごまさんの考えを分かっていて、さらに、優しさを感じるまでになってしまったごまさんを、恐ろしいと思っているのかもしれない。それは頼りがいに、いつか変わるかもしれないと。
ごま
いやいや。手に負えないというか、蛇を生んでしまったぐらいには思ってるんじゃないかな。
ごま
ある写真家が妻の死に顔を撮って話題になったことがあったけど、僕にとって枚方はそれくらい極私的な題材。だから実際の枚方に住む父母には許せないんだと思う。当たり前だよね。
ごま
僕は自分のことを語り部だと思ってるけど、誰かに頼まれて語るわけじゃない、と言って自分のために語っているわけでもない。もっというと公演を観に来てくださるお客さんのためでもない。でも確実に誰かのため語ってる。それが誰なのか見当もつかないけど。そんな実感はしてます。
p1_goma2
(インタビュー終了)
★Link: 第31回公演『ピラカタ・ノート』公演情報
★Link: 公演関連企画|街の記憶|