高原綾子が、作品の観どころ、楽しみどころをお伝えしていく
『チェーホフも鳥の名前』の魅力に迫るシリーズ。
今回ご紹介するのは「写真協力」として参加していただく、
写真家の後藤悠樹さんです。
後藤さんとの出会い、ニット作品と写真との関係など、
後藤さんの写真を交えながらその魅力に迫ります。
後藤さんにニットキャップシアターと関わってもらうのは、今回が初めてです。
今年の4月末に初めてお会いし、劇団のこと、今回の作品のこと、どういう風に作品に関わってもらいたいか……などなど、自己紹介や企画説明をするところからスタートしました。後藤さんにとっては突然のお願いだったかと思います。でも思いが通じたのか、公演のメインビジュアルに後藤さんの写真を使って良いと、それだけでなく作品創作にも協力してもらえるという返事をいただいたのが、5月上旬のことでした。
そもそも後藤さんに声をかけたいと言い出したのは、私(高原)でした。きっかけは、2018年3月に出会った一冊の本に始まります。
この頃、劇団ではすでに『チェーホフも鳥の名前』を2019年に上演することが決まっていました。そんな時に、本屋で新刊として平積みされていた本の中から、「サハリン」の文字に魅かれてたまたま手に取った本、それが後藤さんの『サハリンを忘れない』という本でした。
敗戦後に日本統治だった「樺太」が「サハリン」へと変わる中で、日本への引き揚げが叶わなかったり、変貌する国際情勢の中で祖国に帰れなかったりした「サハリン残留日本人」。『サハリンを忘れない』は、彼/彼女たちの記憶を聞き取りし、記録した本です。
プロローグの文章には、簡単なサハリンの紹介に続いて、サハリンで出会った人たちのこと、サハリンで過ごした日々のことが書いてあって、その最後はこう結ばれていました。
「記憶」と「写真」。ここ数年、ごまさんと共に私が舞台創作するときによく使っている組み合わせでした。目次にはサハリンで暮らす方の名前が並んでいて、その一人一人の歴史、小さな記憶が、街を形づくっているような構成になっています。短いエピソードの積み重ねが一つの大きな物語になっていくごまさんの手法ともどこか似ていて、自然と親近感が湧きました。
この本でハッとしたのは、「過去」だけではなく、「今」も書かれていたことでした。過去の思い出だけでなく、現在の思いや暮らしのことも書かれてあって、写真からは現在もサハリンに生き続ける人々の息づかいを感じました。
読み進めていく内に、遠くて知らない場所、過去のことだと思っていたことが、ぐっと近づいてきました。サハリンが今の日本と繋がっていること、今もサハリンで暮らす日本の方がいること、知らなかったことがたくさん書かれていました。
そして、私たちの舞台作品でも、サハリンの歴史を描くだけでなく、過去と現在が地続きに繋がっていることが大事になると思いました。その仕掛けとして、後藤さんの写真を舞台上で投影できないだろうか、この場所に土地勘のある人としても、後藤さんにご協力してもらえたら心強いなと思い、お誘いすることになりました。
後藤さんと私たちの出会いは偶然でしたが、知れば知るほどいくつか共通するところがありました。
ニット作品やごまさんの描く作品には「生活する人」が描かれています。後藤さんの撮る写真は「暮らし」が撮られていて、どちらも「生活の営み」が題材になっています。例えば、ごまさんの脚本には何かしらの食べ物や、食事のシーンが必ず出てきます。後藤さんの写真もまた、食べ物や、台所、食事をしている風景がたくさんあります。
聞くと、後藤さんは料理を作るのが好きだそうです。気分転換に料理するのだとか。なるほど。料理の邪魔にならないポジションを知って写真を撮っているから、よそのお家の台所にススっと入れるのだなという発見がありました。
それから、後藤さんの写真は被写体との距離感が絶妙です。人のぬくもりや温度のある写真です。そのことを後藤さんに話すと、「サハリンの写真は、写ってる人の家族のアルバムにそのまま入っていっていけるように撮ってあるんです。変に誇張とかしないし、気持ちで撮っている写真」と。
私たちがこれまで「街の記憶」を扱った舞台作品では、家の中で長い間眠っていたアルバムから引っ張り出されてきたもの、地域で保管されている冊子などがほとんどでした。カメラ好きの人が撮った家族写真、地域の行事を納めた写真、何かの記念日、他愛ない風景などなど。
後藤さんのサハリン写真も、それと同じような日常の一コマをたくさん撮られています。だからこそ、私たちのつくる「街の記憶」舞台創作と親和性があると感じたのかもしれません。
後藤さんは私と同じく30代です。どこか飄々としながらも、サハリンのことを全く知らない私の話にも真摯に耳を傾けてくれました。同時に、簡単には納得してくれない芯の強さや、辛抱強く時間を割いてくれる大らかさを持ち合わせ、京都行の終電を逃した私を気遣ってくれる世話人でもあり、ウォッカ1瓶を手土産にくれるユーモアもある人です。
今回は写真提供という枠を超えて、日本統治下の樺太時代の貴重な資料を所有している「一般社団法人全国樺太連盟」や、ご自身が所属され、今もサハリンと日本を繋ぐ活動をしている「NPO法人日本サハリン協会」など、様々な関係団体との懸け橋としても協力いただきました。
2018年は本を出版されただけでなく、写真展やサハリンを広く伝える活動もされていて、その様子は後藤さんのブログ記事や、「ほぼ日刊イトイ新聞」のインタビューでもご覧いただけます。
そのブログの記事に、昨年サハリンでおこなわれた「後藤悠樹写真展『サハリンを見つめて』」での開会式のスピーチが載っていたので、その一片を紹介したいと思います。
2006年から13年間、サハリンやそこで暮らす人々を見つめてこられた後藤さん。お話をする中で、また文章や写真からも、サハリンでの出会いや交流の中で生まれた愛情や使命感が強く伝わってきました。いいところだけではなく、でも辛いことや悲しいことだけでもない。そのどちらも含めた細かな積み重ねが、後藤さんの写真に生活の明るさや逞しさとして写っているのだと思います。
『チェーホフも鳥の名前』では、1890年から1980年代までのサハリンの姿をお芝居で描きます。そして後藤さんの写真には、そのお芝居の続き、2000年代のサハリンを担当してもらうことになりました。
お芝居と後藤さんの写真の組み合わせで、サハリンで暮らしてきた市井の人々に、優しくスポットを当てます。先住民族・囚人・移民など多様な人々を受け入れてきたサハリンという島の懐の広さ。その島で歴史に翻弄されながらも生き続ける人々の逞しさ。そして、後藤さんの写真を通してサハリンの今をも感じてもらう、そんな作品になる予感がしています。