作品について

【ごまのはえインタビュー】

いよいよニットキャップシアターの最新作「ノクターンだった猫」が始まります。
今回は一体どんな作品なのか。稽古が佳境を迎えた6月末に、作・演出を務めるごまのはえに新作公演についてインタビューをしました。 (聞き手:高原綾子)

「あくまでポップスであることにこだわりを持って。」

―― 今回一年ぶりの新作ですが、「クレームにスマイル」、「踊るワン‐パラグラフ」という過去の2作品を経てどんな作品になりそうですか?
ごま ビーチ・ボーイスの「ぺッドサウンズ」っていう、最高傑作と言われているアルバムがあるんです。ビーチボーイスが世間で売れたのは前期なんですけど、そのアルバムからスタジオ録音にどんどん凝りはじめてくんですね。すごい完成度なんですよ。
で、その次に「スマイル」っていう存在しながら未発表になってしまった大作があって、凝りまくって凝りまくって訳分かんなくなった極みのようなアルバムで。ただ単にセロリをかじった音とかをサンプリングしてリズムにした曲とか、ビーチ・ボーイズの極み曲「グッド・バイブレーション」が収録されているアルバムです。でもあくまでポップスなんですよ。実験ということを遊びにして作ってる。そのブライアン・ウィルソンがあくまでポップスであることにこだわりを持ってて、実験なんですけど難しい方向に行かない。そんなふうにかっこよく仕上げたいなあと。

「もうほとほと飽きた。」

―― 今作品では新たな試みとして仮面を使いますが、あれはどういう経緯で出てきたんですか?
ごま 「クレスマ」、「ワンパラ」とやってきて、役作りということがお客さんから乖離(かいり)した印象を持ってしまったんですね。僕のこだわりにしろ、役者のこだわりにしろ。底を打ったと言うか、まだもっとやりこまないといけないって分かってるのに、円環したというか完成したというか。完成の度合いも低いんやけどそういう気がしてて。
演劇って当然いろんな人が観るじゃないですか。それを全部網羅したいとは思わないけど、演劇の持つ手法を面白く組み合わせたいなあと思ってて。
仮面劇っていうと日本だとお能ってイメージがあるけど、ああいう風にはならない。
まあ、いろんな役作りをして、このタイミングとかここをもっとこうしたらっていう細かい稽古に飽きた。飽きたでしょあなたも。
―― (笑)。飽きたってことが、新しいことに取り組みたかったってことですか?
ごま そう。それで『新作』って本当に呼べるものを作るにはどうしたらいいかって考えたってことだよね。
―― 長年一緒にやってきたメンバーが辞めたことも関係ありますか?
ごま それはないな。
ただもうほとほと飽きた。セリフ覚えて会話にしてっていう作り方に。
―― 最初に「実験的だけど難しいものにしたくない」と言っていましたが、仮面って難しい要素がある気がしますが?
ごま 仮面をつけてたらセリフをしゃべれないから、言葉に頼れないじゃないですか。絵として示さないといけなくなる。抽象化されていく訳だから。そうすると、今、仮面はどういう真理なんだろう、どういうことを表してるんだろうっていうことをお客さんに感じてもらえやすくなる。だから、むしろあっさりしてるかなと。仮面だから分かりづらいっていうのはないかな。
―― タイトルにある「ノクターン」にはどんなイメージがありますか?
ごま やっぱりショパンかな。昔は音響やっていたこともあって、よくクラシックを聴いてたんです。それで、クラシックを使うってなったらまず借りるのが「ノクターン全集」だったんですよ。昔から聞いてはいたんですよ。でも、一回も使ったことはなかったんです。メロディもいいし雰囲気もあるけど、音響で使うとなるとフレーズをここからここまでって感じになる。でも、「ノクターン」は長く使えば使うほど世界観が出てくるので、相当ちゃんと取り上げないといかんなあと思ってて。あるシーンで一つだけ使うのはダメだなあと思ってたんです。
今回最初からあったのは『喫茶店』で『夜』ってイメージで、『夜に想う』夜想曲(ノクターン)っていうのがいつか使いたかったんですよ。
いいカタカナじゃないですかノクターンって。

「お蚕さんやな。ぼくは葉っぱ置いてくれたら食べますさかい。」

―― 今回の台本は『男女の愛』がテーマになっているように思います。ごまさんは、『男女の愛』をどう描こうと思ったんですか?
ごま なんだろうね。どういう風にか……ぼくね、女の人の気持ちも描ける気がしてるんです。作家としておばあちゃんにもなれると思ってるんですよ。自分が経験したことしか書けないタイプではなくて、おばあちゃんにしか出せないリアリティを描ける自信があるんです。でも今回は非常に男目線。
―― 男の目線と言ってもいろいろいありますが、どういう男の人ですか?
ごま (自分を指差して)おれですよ。おれ目線でやってる感じ。今回は男の受難劇って感じやな。受難劇。そんなジャンルないでしょ?
―― では、『愛』についてはどう考えていますか?
ごま どう……試されたことが無いんですよ。今ここで愛が試されてるってことが無いんです。(愛の)試練。
例えば、彼女なりぼくなりが単身赴任で遠距離になったりするじゃないですか。ちゃんと付き合い続けることができるかとか。事故のときに相手を助けれるかとか。相手がしんどいときに助けれるかとか。そういった試練を受けたことが無いからね。夕方になったら「こうちゃんあそびましょ」って来てね、「わー」って言って「ばいばーい」って。お子様ですからわたくし。
絶対この人じゃないとダメっていうような、そこまで燃えられない。燃えない。でも、燃えないから冷静に描ける。
演劇ってずっと博打みたいなもんじゃないですか。何百万もかけて、三ヶ月に一回大博打が来るサイクルなわけやん。それに向けて準備してどうこうして、それだけに体力持ってかれちゃうよ。フィクションとして捉えられないというか。ぼくの熱狂的な部分っていうのは全部演劇の興業に持っていかれちゃってて、恋愛は結構リアルですね。
―― でも、結婚してしまうと必然的に試練が来るんじゃないでしょうか?
ごま それは向こうが守ってくれるんじゃない?
お蚕さんやな。ぼくは葉っぱを置いてくれたら食べますさかい(笑)

「地球が滅んでいきそうになりながら、また出会いが生まれる。」

―― 次に、創作現場についての話を聞かせてください。
今回、ダンサーの佐藤健大郎さんに振付をお願いしていますが、刺激や新しい感覚はありますか?
ごま (佐藤さんは)もうありがたいですよ。なんでしょうね。ま、クレスマ、ワンパラを経て硬直してたものが、佐藤さんに頼みましょうってなっていろんな伸びしろを発見したのが大きいですね。
―― では、現在創作している中で、作品の見所や苦労していることを教えてください。
ごま 見所は、男性が4人、女性3人、それだけの出演者なんですけど、いろんな男女が見れると思ってます。誰と誰がカップルで誰と誰が付き合っててとかそういうことじゃなくて、みなさんが男性女性の性をプンプンフェロモンとして出してくれると思う。花粉飛ばしまくりみたいな。なってるかなー。プンプン。でも、むしゃぶりつきたいぜ!みたいな花粉が飛んでるわけではなくて、東洋的な、繁殖期の動物の行動とか昆虫が光を放ったりするじゃないですか、ああいうのが芝居になったらいいなあと。男女のそういうのが大事だと思ってます。今回は男女の壁を描いてるじゃないですか。壁がありながら、しかも環境として地球が滅んでいきそうになりながら、また出会いが生まれるっていう、そんな感じがうまく出せへんかなあと思いながら稽古で作ってます。
苦労してる部分か……やばいなあと思うことがたくさんありまして。ぼくから見てやばいなあっていうのは、リズム感が悪いとか、整ってないなあとか。そこを見慣れたものにしていくためにどう成立させていくのか、そこが難しいね。それを整わせることによってよくあるシーンになってしまっては良くないし。ま、本番が何回もあるから絶対上手くなっていくしさ。下手くそなのが良いとは全然思わないけど、『これが上手いってことでしょ』とか、『これがおれの良い演技だ』っていう決め付けみたいのはしたくないなあって思ってて。難しい。

「ニットキャップシアターの基本にあるのは、社会 VS 人間」

―― 最後の質問です。この作品は、稽古を通して今までと違う作品になると思っています。この作品を経て、これからニットキャップシアターでどういう作品を作っていきたいですか?
ごま 分からんな。でもニットキャップシアターの基本に「社会VS人間」みたいのはある。今回も社会面に載った事件にどれだけ作家が迫れるか、作品化できるかっていうところが大事だと思ってて、そういった作品を作ることが考えられるかな。
―― ありがとうございました。
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ニットキャップシアター 第28回公演 「ノクターンだった猫」 公式特設サイト