『チェーホフも鳥の名前』の脚本と演出を担当したごまのはえです。すでにご承知の通りロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。2022年3月末現在も休戦への見通しは立っておりません。本作『チェーホフも鳥の名前』は国同士の思惑に、振り回される市井の人々の暮らしを描いた作品です。現実の戦争がはじまった今、私にとってこの作品をかえりみることは、この作品にどんな力があるのか、ないのか。ないとすれば、それををどう思えば良いのか。自問自答することに他なりません。そしてまた、その自問自答をシェルターにして、自分の殻に閉じこもる毎日です。安全な場所から、別の場所の惨事に思いを馳せることは……いつまでたっても慣れません。けれど今、この時期にこの作品に興味を持って下さる方がおられること、この作品を思い出して下さる方がおられることは、大きな励みです。ぜひ感想をお聞かせ下さい。
ごまのはえ
日本とロシアに挟まれた島、サハリン。
この島に「チェーホフ」と名付けられた街があるのをご存知でしょうか。
ロシア人、日本人、朝鮮人、ニヴフやアイヌなどの北方民族――
この街に暮らした様々な人々が、
ときに国家間の思惑によって翻弄されながらも生活する様子を、
アントン・チェーホフや宮沢賢治ら、
かつてこの島を訪れた作家達の眼差しとともに辿ります。
サハリンのある街と人々の暮らしを描いた、約100年のクロニクル。
待望の再演!!
この作品は2019年夏に初演された作品です。
この二年の間に本当に色んなことがありました。ヒトにとって自然はあまりにも厳しく、生き延びるためにヒトは文化や社会と言われるモノを築きました。けれどこの二年間で私がたびたび見たのは、文化や社会が個人を押しつぶしてゆく光景です。
そしてこの『チェーホフも鳥の名前』を振り返った時、舞台「サハリン」もまた一人一人が生活を守るために逃げたり、隠れたり、従ったり、戦ったりする歴史の繰り返しであることに気づきました。自然に、社会に追い詰められたとき、本当に頼りになるものは何か?
いま私たちが一番知りたい、感じたいことが、この作品には描かれています。
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ごまのはえ
大阪府枚方市出身。劇作家・演出家・俳優。ニットキャップシアター劇団代表。
京都を創作の中心に全国で活動を展開している。
2004年に『愛のテール』で第11回OMS戯曲賞大賞を、2005年に『ヒラカタ・ノート』で第12回OMS戯曲賞特別賞を連続受賞。2007年に京都府立文化芸術会館『競作・チェーホフ』で最優秀演出家賞を受賞。劇作家、演出家として注目を集めるほか、演劇ワークショップや演劇講座の講師としても活躍している。
2016年より財団法人地域創造派遣アーティスト、京都造形芸術大学舞台芸術学科の専任講師を務める。
門脇 俊輔(かどわき しゅんすけ)
1981年、北海道生まれ。
2002年、京都大学在学時にニットキャップシアターに入団。2003年、ベビー・ピーの旗揚げに参加。以降両劇団に所属し、俳優、制作、公演プロデューサー等で作品に参加する。舞台ではカホン等の打楽器を演奏することもしばしば。
2011年よりKYOTO EXPERIMENT
京都国際舞台芸術祭、事務局スタッフ。
高原 綾子(たかはら りょうこ)
酒の街、京都伏見の生まれ。
2004年、ニットキャップシアターに入団。以降、俳優と制作として公演に携わる。
劇団では少年少女の役が多いのが特徴。好きな食べ物はだし巻き。
一般社団法人毛帽子事務所 代表理事。
澤村 喜一郎(さわむら きいちろう)
1982年、高知県生まれ。
2006年、ニットキャップシアターに入団。以降、ほぼ全ての作品に出演する。
劇団外の主な出演に、
KUNIO09『エンジェルス・イン・アメリカ』(2011)や、sunday
play#5『グルリル』(2012)、ばぶれるりぐる『へちむくかぞく』(2019年)、下鴨車窓『散乱マリン』など。
映像作品への出演に、重江良樹監督作品『紡ぎ』などがある。
また子ども向けの演劇ワークショップの講師やコントの演出を務めるなど多方面にて活動中。
仲谷 萌(なかたに もえ)
1989年、大阪府交野市生まれ。
小学生で交野のサワガニ役をやる。
東住吉高等学校芸能文化科にて上方伝統芸能を学ぶ。京都造形芸術大学舞台芸術コースにて主に演技やダンスをやる。卒業後フリーの役者を経て、現在ニットキャップシアターに所属中。出演したり小道具や仮面をつくったりしている。
5月の山と、夏の夕方の散歩が好き。
池川 タカキヨ(いけがわ たかきよ)
1989年11月29日、奈良県生まれ。
大学時代から演劇に目覚める。
2012年2月、『さらば箱舟』にてニットキャップシアターに初参加。
2018年1月、ニットキャップシアターに入団。
元シンガーソングライターの経験を活かし、劇中音楽などで活躍。
主な出演履歴は以下の通り。
・「地域とつくる舞台」シリーズ アイホールがつくる「伊丹の物語」プロジェクト『さよなら家族』(2017)
・石原正一ショー『西の遊のキッコ』(2018)
・ももちの世界『カンザキ』(2019)
西村 貴治(にしむら たかはる)
京都府出身。
1997年、演劇企画集団「THE
ガジラ」鐘下辰男主宰塵の徒党に参加。以降舞台を中心に活動。
30代を家業に費やし気づけば40代。
厄年をきっかけに役を獲りにと4年程前より京都を中心に芝居をはじめる。
主な出演作
塵の徒党『去る者は日々に遠し』
演劇企画集団 The ガジラ『ベクター』
演劇企画集団フラジャイル『bridge』
ニットキャップシアター
『カムサリ』、『ねむり姫』
烏丸ストロークロック
『新・内山』、『凪の砦、vol,1~6』
伊丹アイホール主催公演『イタミノート』
下鴨車窓『純粋パレス』
RoMT『十二夜』
山谷 一也(やまたに かずや)
2003年ひらかたパーククラウンアカデミー入所。次年よりパフォーマンス活動開始。2007年より木原アルミとのマイムユニット「パーカーズ」を結成。商業イベントやお祭り、園や学校で活動をする。個人では2007年『石膏くん』天保山大道芸フェス出演。2010年京都演劇フェスティバル『コカンセツ』で観客賞受賞。豆腐好き。2021年4月よりニットキャップシアターに入団。
千田 訓子(せんだ としこ)
1971年、大阪生まれ。
幼少期より姉の影響を受け、数多くの舞台に出演、17歳でピッコロ演劇学校、立身出世劇場を経て、2000年にリリパットアーミーIIのメンバーとなる。
2012年1月劇団を退団。
その後はフリーの役者として活動しながら焼酎亭八海山としても時々落語で活動中。
主な出演舞台
音楽劇【大悪名】
南河内万歳一座【秘密探偵】石原正一ショー【西の遊のキッコ】
万博設計【駱駝の骨壷】他。
山岡 美穂(やまおか みほ)
横浜生まれの大阪育ち。
現在は関西を中心にフリーで活動しており、舞台作品を中心にジャンルを問わず多岐にわたり出演。近年ではロームシアター京都劇場探検ツアーのアテンダントとして劇場と地域に密着した事業にも参加。
舞台と演劇をこよなく愛し、日々のエネルギー源はにんにくと猫。冬になると金沢を訪れ、お気に入りの喫茶店でココアを飲むのが1年のたのしみ。
田辺 響(たなべ ひびき)
西アフリカの楽器 “アサラト”
を手にした事でリズムの世界・世界のリズムへ。
アサラトのみで構成されたパフォーマンス集団 “鴨印”
、指揮型即興打楽器オーケストラ “La
senas”、コミックHIPHOPバンド “ザ ストロングパンタロンX”
にて活動中。
近年ではアジア、ヨーロッパなど海外でのパフォーマンスやワークショップも好評を得る。
またフリーのパーカッション二ストとして、これまで様々なプロジェクトやバンドに参加。
2017年より世界の楽器、民族楽器を取り扱う専門ショップ
“RAGAM(ラーガム)” を開店。
世界各国の楽器や音楽文化を紹介する講演やワークショップも各地で行う。
http://ragam-store.com/
黒木 夏海(くろき なつみ)
マイムと歌。
同志社女子大学声楽コース卒業。マイムをいいむろなおき氏に師事。いいむろなおきマイムカンパニー、ニットキャップシアター等に出演。東京2020パラリンピック開会式出演。DANCE
COMPLEX2010優勝&審査員特別賞。コーヒーが好き。
後藤 悠樹(ごとう はるき)
1985年大阪生まれ。日本写真芸術専門学校卒業。
2006年にサハリン(樺太)を訪れて以来、定期的に長期滞在を繰り返す。被写体に寄り添うようなスタイルで写真と原稿にて作品を発表。著書に「サハリンを忘れない(DU
BOOKS)」、「サハリン残留 (高文研)」(写真を担当)がある。
近年の写真展には「Всматриваясь в Сахалин(邦題
サハリンを見つめて)」(サハリン州立美術館
)、「サハリンを忘れない」(神楽坂セッションハウス)などがある。広告写真家のアシスタント、アパレルカメラマンを経て、現在写真館勤務。
https://www.goto-haruki2.com/
北海道の宗谷岬から約43km北にある島。
昔からたくさんの民族が、日本と大陸の双方と交流をもちながら暮らしていた。
近代以前はどこの国にも所属していなかったが、
ロシアのシベリア開拓や日本の近代化以降は、
両国の国境地帯として何度も戦火にみまわれた。
日本統治時代は「
終戦後は住民の多くが日本に引き揚げた一方で、
国家間の様々な事情などによりサハリンに残留した人も多い。
現在は「サハリン州」として事実上ロシア連邦に属しており、
ロシア、朝鮮、日本、北方民族の人々が多文化的な生活を営んでいる。